エジソンといえば、私たちはすぐに家庭の電球を思い浮かべます。しかし、なんと彼は84年の生涯に‘1000’以上の発
明をした発明王でもあるのです。
 それだけではありません。彼は起業家でもありました。彼は、様々な事業を起こし、成功と失敗を繰り返しながら決し
てくじけることなく、常に時代と社会に果敢に立ち向かいました。この彼の人生に関わった人々は、単に彼の天才的な記
憶力や発想に驚くだけでなく、彼の<生き方>ともいえる彼の哲学に深く感銘し、彼から<生きる>ことの意味を学んだ
といいます。ここでは、そんな彼の人生の一部をひもといてみましょう。

■<世界知>を自分のものに
 エジソンは時代から何を学んだか!?

 スティーブンソンが亡くなった1848年の1年前に、アメリカのオハイオ州でエジソンは生まれました。そうです。イギ
リスで蒸気機関車が発明され、世界は産業革命の嵐が吹きすさび、次々と新しい技術革新が行われ、人々の生活は目に見
えて、変化していく時代だったのです。ノーベルがダイナマイトを、マドックスが写真乾板を、ベルが電話機を、ベンツ
がガソリン自動車を、ライト兄弟が飛行機をというように、人類史上まれにみる発明の時代でもありました。日本ではち
ょうど明治維新がおこり、次々とこれらの発明品がなだれ込み始めた時代です。このように考えるとエジソンは突然一人
でこれだけの発明をしたわけではなく、世界各地でおこっているこれらの情報を敏感に取り入れ、人々の生活をより便利
にしていくための技術改良、あるいは新しい技術の開発をしたといえます。
 つまり、エジソンは<世界知>を自分の中に取り入れる努力を絶え間なくし続けていたのです。
 また、産業革命は単に技術革命が行われたというだけではなく、新しい社会構造を創り出す革命でもありました。資本
主義社会への大きな変換を成し遂げる時代でもあったのです。新しい起業が生まれ、多くの会社組織ができていきました。
数々の発明が、人々の生活の中に入っていくためには、莫大な投資と人々の力が必要とされたのです。こうして、株式会
社組織が生まれたともいえます。エジソンもまた、自分の発明を人々の生活に生かすために自ら株式会社を創設していき
ます。こうしてエジソンは新しい社会をまるごと受け入れ、その社会の発展とともに生きた人であるといえます。
 私たちもまた、エジソンの時代と同様の新しい社会構造を創り出す時代を生きようとしています。IT革命といわれて
いますが、科学の発達は「ヒトゲノム解読」から「クローン人間」さらには「宇宙ステーション」の建設にいたるまで、
人間の新たな未知への挑戦に向かって進んでいます。その意味では、エジソンの時代以上に大きな構造的な変革の嵐の中
にいるといえます。<世界知>を共有しなければ、小さな閉じられた無知の世界の中でしか生きることができないでしょ
う。

■生きることは学び続けることだった
 エジソンの学びとは、
    いったい何だったのか!?

 子どもの頃のエジソンは、今でいう登校拒否児であったといわれています。「学校」は、エジソンのように先生の言う
ことに疑問をもったり、理解できない子にとっては針のむしろのような場であったのです。つまり、彼は先生の言うこと
がわからない「低能児」として扱われたのです。このことに早くから気づいたエジソンの母親は、エジソンに自分で<学
ぶ>ことを教えました。そのことによって、彼は単に知識を覚えると言うことではなく、「生きる」ことと密接につなが
った知識の修得を自立心と共に培ったと言えるでしょう。12歳の頃には鉄道の車内新聞売りをしながら、わずかな時間を
惜しんで様々な実験を始めていたそうです。しかも、生涯を通じて1万冊以上の本を読んだとも言われます。彼にとって
生きるとは、働くことであり、人類の幸せのためにその仕事を役立てることであったのです。エジソンにとって、それは
同時に生涯を通じて学び続けることを意味したのです。
  「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉はあまりにも有名です。